弁護士紹介

弁護士紹介

弁護士 下元高文

平成12年3月 京都大学法学部卒業
平成11年11月 司法試験第2次試験合格
平成13年10月 弁護士登録(大阪弁護士会)
平成20年4月 田中・下元法律事務所設立
平成29年4月 弁護士法人ニューステージ設立

History

私は、大阪の商売人の家で長男として生まれました。
父親が小さな会社を経営していたことは、私の将来を考える上で大きな影響があったと思います。
商売には、良いときもあれば悪いときもあるけれど、自分の力で道を切り開いていくやりがいもあると子供心に感じて、
自分も将来は自営業や小さな会社をやっていくのかな、と思っていました。
ただ、あまりにも浮き沈みが大きいと辛いなあ、という感覚で、「できれば、何か資格を持った上で自営業を営んでいきたい。」と思うようになりました。

私の3歳下の弟も、同じようなことを思ったのか、歯科医になっています。
私も弟も別の道を志したことで、父の会社は姉夫婦が継いでいますので、姉夫婦には頭が上がりません。
 
数ある資格の中で、弁護士を志すようになったのは高校生の頃です。
 
その頃なぜかミステリー小説にはまった私は、国内外のミステリーを読みあさり、難事件をズバッと解決する「名探偵」に憧れました。
 
私の考える「名探偵」は、都会の片隅に事務所を構え、突然美女が相談に訪れ、男気と腕っ節があって、ユーモアと名言を交えつつ、事件に巻き込まれていく、という古典的なイメージのものです。
しかしながら、現代日本には「名探偵」は生息しておらず、探偵業者のお仕事は全く違うことも分かりました。
現代日本の中で、私がイメージする「名探偵」に一番近い仕事は、弁護士しかないと思い込むようになったのです。

それから、高校生の頃にこんなことがありました。
男子校である我が母校には、他校(女子も含む。)の生徒たちにも来ていただける文化祭があり、何とかしてモテたいと考える思春期の生徒たちにとってビッグイベントだったのですが、そこで、私の友人がバンド演奏をしたいと言い出したのです。
しかしながら、当時は、講堂での演奏は、クラシック音楽に限られ、エレキギターなどを使ったロックバンドの演奏は許されていませんでした。
「ロックはダメ」と言われた私たちは、意気揚々と校長室に乗り込み、校長先生を説得することにしました。
 
音量の問題であれば、音量は調整することが可能であり、ロックにも素晴らしい名曲はたくさんあります。
校長先生を前に、モジモジしている友人たちを代表し、私は(たどたどしくも)何とか校長先生を説得することに成功できたのです。
 
最後に校長先生が私に声を掛けてくれました。
「君は、どの楽器を演奏するの?」
私は、交渉が上手くいった喜びもあり、笑顔で答えました。
「僕は何も楽器はできません。バンドのメンバーでもないです。」
私は、校長先生という牙城を崩す交渉を担当しただけで、実際に演奏し、結果として他校の女子生徒からモテることができる(結果は知りませんが。)のは、別の友人たちだったのです。

今思えば、このロックバンド事件が、私が代理人として初めて手掛けた事件でした。
当事者のために、私の持ちうる限りの知略と論理を尽くして戦っていく喜びは、まさしく弁護士ならではのものであったと思います。
その後、初志を貫徹し、大学法学部に進学し、運良く司法試験にも合格することができました。
弁護士登録以来、様々な企業や自営業者さんとお付き合いをさせて頂きましたが、法務の行うべき範囲はとても広く、多様であるため、現在も勉強させていただく機会が多いです。
 
弟が歯科医になったこともあり、歯科の先生方とお付き合いする機会も増えてきましたが、歯科の先生方の悩みも様々ですし、専門的な知識が必要になることも多くあります。
 
弁護士としての経験は20年を超えましたが、いつも大切にしていることは、
「常に依頼者の方と共に歩み、最良の解決を目指す」ということです。
 
ご心配な点があればいつでもご相談ください。
 
依頼者の方の不安や恐れを解消すること、コミュニケーションを絶やさないことを心掛けています。
あなたの盾になり、ともに考え、悩み、最良の解決を目指していきたいと思っています。